ネタバレと考察

へなちょこさん

ドラマを楽しむうえで、
すっかり王道になりつつある“考察”

放送が終わればSNSにはさまざまな説が並び、
その考察を読むことまで含めて
ドラマを楽しんでいる人も多いですよね。

そんな時代のなか、
へなちょこはほとんど考察をしません。

というか、考察があまり好きじゃないのです。


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考察は当たっても外れても困る

考察が好きじゃない理由は、
当たっても外れてもあまりいい気がしないから。

自分の考察が当たったら、

「やっぱりね」

となってしまい、
本編で真相が明かされても意外性に欠けてしまう。

反対に外れたら、

「自分はドラマをちゃんと理解できていなかったのかな」
「見当違いな推理をしていて恥ずかしいな」

と思ってしまいます。

特に、SNSで堂々と発信した考察が外れた日には、
もう目も当てられません。。

当てても素直に驚けなくなり、
外せば恥ずかしくなる。

どちらに転んでも、
へなちょこにとってはあまり気持ちよくないのです。

考察ってネタバレとは違うの?

ドラマや映画のネタバレはダメ。

これは世間一般の共通認識になっていて、
多くの人が細心の注意を払っています。

ところが、考察となると話は別。

まだ確定していない情報だからなのか、
SNSにもかなり無防備に流れてきます。

でも、誰かが書いた考察によって
自分では気づいていなかった伏線を知り、
それらしい推論まで見せられてしまったらどうでしょう。

「たしかに、そうなるかも」

と思った時点で、
その展開が頭のなかへ入り込んできます。

そして、その考察が当たっていたら、
へなちょこにとってはネタバレされたようなもの。

ストーリーのなかで、
脚本家さんや制作陣が意図したタイミングと演出によって
謎や衝撃の事実を明かしてくれる。

その瞬間に初めて知るからこそ、
驚いたり、感心したり、衝撃を受けたりできるはずです。

ところが、事前に考察を読んでしまうと、

「そんな展開が!?」

ではなく、

「あの考察、当たっていたんだ」

に変わってしまいます。

答えそのものを聞いたわけではなくても、
一度候補として頭に入った展開には、
もう完全な初見では出会えません。

作品が用意してくれた最高のタイミングで驚きたいのに、
そのインパクトを先に少し削られてしまうのです。

外れた考察はノイズになる

では、考察が外れていれば問題ないのか。

これはこれで、
作品を楽しむうえでのノイズになります。

現在放送中の『VIVANT』で、
へなちょこはこんな考察を目にしました。

「新庄が野崎に変装しているのではないか」

最初は、

「いやいや、まさか」

くらいに思っていたものの、
東條の”日本人離れした体格……”というセリフなど、
それっぽい根拠まで挙げられています。

そうなると、

「えっ、本当にそうなのかも?」

と思わされてしまうへなちょこ。

ところが、物語が進んでいくと、
今のところ全然関係なさそう。。

考察が当たっていれば、
先の展開を知ったような状態になる。

外れていれば、
本編とは関係のない疑いを植えつけられる。

どちらにしても、
まっさらな状態では見られなくなってしまいます。

作品側が用意したミスリードなら、
それも含めて演出として楽しめます。

でも、作品とは関係のないところで生まれた説に引っ張られるのは、
ちょっと違う気がするのです。


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伏線は真相が明かされてから楽しみたい

へなちょこにとって伏線は、
先の展開を当てるための材料ではありません。

衝撃の事実が明かされたあとに、

「あそこにこんな伏線が張ってあったんだ!」
「あのシーンはそういうことだったのか!」

と気づくためのもの。

何も知らない状態で衝撃を受けてから、
過去のシーンを振り返って答え合わせをする。

そこで初めて、
作品の緻密さに感心したり、
もう一度違う角度から物語を楽しんだりできます。

明かされる前に材料を拾い集めて、
先の展開を推理する。

それよりも、
作品が用意した順番のまま驚き、
そのあとで伏線を発見する。

へなちょこにとっては、
こちらのほうが気持ちのいい楽しみ方なのです。

作り手は考察をどう思っているんだろう?

ここで気になるのが、
脚本家さんや制作陣は考察をどう思っているのかということ。

鋭い考察で先の展開を当てられたとき、

「そこまで気づいてくれた!」

とうれしくなるのでしょうか。

それとも、

「わかっても先に言わないでよ~」

と思ったりするのでしょうか。

最近は考察が主流になりすぎて、
最初から視聴者に考察されることを想定して作っている作品も多いはず。

しっかり伏線を置けば、
鋭い視聴者には真相を当てられてしまう。

かといって、
誰にも当てられない展開を狙いすぎれば、
伏線不足で唐突な展開に見えてしまうかもしれません。

一部の人だけが正解へたどり着ける材料を置きながら、
多くの人には明かされる瞬間まで確信させない。

おそらく、そのくらいが理想的な塩梅なのでしょう。

ただ、今はSNSがあります。

1人では見つけられない材料も、
大勢で持ち寄れば見つけられる。

誰かの小さな気づきが共有され、
別の誰かが新たな根拠を加え、
集合知によって真相へ近づいていく。

作り手からすれば、

「そこまで見つけるの!?」

という状況も増えていそうです。

誰も正解できなかったら面白くない?

反対に、まったく誰ひとりとして
予想できなかった展開の場合はどうなのでしょう。

考察好きの視聴者は、

「そんな展開になるなんて!」

と楽しめるのか。

それとも、

「そんなの当てられるわけがない」

と冷めてしまうのか。

考察が作品を楽しむための遊びなら、
予想が外れても問題ないはずです。

でも、自分が真相を当てることまで含めて楽しんでいるなら、
当てられない作品から離れてしまう人もいるのかもしれません。

伏線は、視聴者に当ててもらうために置くものなのか。

それとも、
真相を明かしたあとに納得してもらうために置くものなのか。

作り手側としても、
なかなか悩ましい議題ですな。

みんなクイズが好きすぎる

それにしても、
みんなクイズが好きですよね。

バラエティー番組を見れば、
ゴールデン帯は軒並みクイズ番組。

再現ドラマ系の番組でも、
途中で映像を止めて、

「このあと何が起きたでしょう?」

とクイズを出す番組がたくさんあります。

物語をそのまま受け取るだけでなく、
自分も参加して答えを予想することに
楽しさを感じる人が多いのでしょう。

ドラマ考察も、
その延長線上にあるのかもしれません。

毎週放送される物語を、
次回までに答えを予想する壮大なクイズとして楽しむ。

でも、へなちょこは出題されたくありません。

答えを考えながら見るより、
物語に連れていかれたいのです。

本当は考えるのがめんどくさいだけ

ここまで考察について、
それらしいことを長々と語ってきました。

ただ、正直に白状します。

へなちょこが考察をしないのは、

「考えるのがめんどくさい」

という理由も大いにありますw

日常生活でふと訪れる計算も、
へなちょこは基本的にしません。

たとえば、みんなで食事をしたあとのお会計。

その金額を人数で割るとなると、
周りのみんなはパッと暗算を始めます。

一方のへなちょこは、

「どうせ他の人のほうが早く答えを出すし」

と、はなから考えませんww

そんな人間が、
ドラマに散りばめられた材料を拾い集め、
自ら進んで真相を導き出そうとするでしょうか。

制作側が最高のタイミングで
答えを発表してくれるのなら、
おとなしくそれを待ちます。

何も考えずに見るドラマは楽しい

何も考えずにドラマを見る。

これ、かなりおすすめです。

先の展開を一切予想していないから、

「おー、ここでこの人が出てくるんだ!」

という些細な展開にも、
純粋に反応できます。

自分の予想と比べながら見ていないので、

「結局、予想通りだった」
「ありがちな展開でつまらない」

と感じることも、まあありません。

考察をしないのは、
作品を深く見ていないからではない。

作品が差し出してくるものを、
その瞬間ごとにまっさらな状態で受け取りたいから。

……まあ、考えるのがめんどくさいから
逃げている部分もありますがw

その結果、
どんな展開にも新鮮に驚きながら、
作品が用意した順番のまま物語を楽しめています。

誰よりもピュアにドラマを楽しんでいる。

その自信だけはある、
へなちょこなのでした。


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